Avaloncity Fortune Land

不肖「信頼出来ない語り手」明智紫苑のオリジナル小説ブログです。当ブログではライフワーク『Avaloncity Stories』第一部の作品を載せていきます。

あいつは「愚者」なんかじゃない ―司馬昭―

「もし仮に諸葛亮が生きていたとしても、この男を補佐していつまでも安泰にしておくのは不可能だったさ。ましてや姜維ごときではなおさらだよ」

 とんでもない。
 あの男は食わせ者だ。
 表向きは能天気にヘラヘラ笑みを浮かべていたが、目は笑っていない。なんて冷たい目の光なのだろう。
 確かにあの男は一国の主にふさわしい力量はないだろう。しかし、あの男は父親(劉備)と同じく得体の知れないしたたかさがある。私はあの男が気味悪い。
 だからと言って、別にわざわざ殺す必要などない。あの男が愚者を演じるのは、私に対する色々な意味での賄賂だ。項羽が義帝を殺したような過ちなど、わざわざやらかす必要はない。

  公嗣 こうし 劉禅)は元々姜維に対して冷ややかな目を向けていただろう。公嗣自身、父の世代とは違って「漢」に対する信仰などないだろうし、偽の投降をしてきた姜維に対する信頼など毛ほどもなかったようだ。
 姜維は、あの国を傾けるために我が国を去った。もちろん、我々魏の者たちは呉にも似たり寄ったりの者どもを送り込んでいる。
「我が国」。そんな言葉を使う今の私の口元には苦い笑みが浮かんでいるのかもしれない。私はこれからあの曹子桓(曹丕)と同じ事をするのだ。「我が国」、これから簒奪者の汚名を得る私がこの言葉を使う。なんて滑稽な言葉だろう?

 諸葛誕、公休。
 なぜかあの男を思い出した。いや、あの男自身ではなく、あの男に従った者どもだ。
 私はあの者どもに「降伏しろ!」と呼びかけた。しかし、あの者たちは「諸葛公のためなら死ねる」と言い切り、次々と首を落とされていった。最後まで残った者はいない。

 結局、我ら一族は諸葛の者たちにはかなわないのだろうか?

 公嗣は狸寝入りをするかの如く酒を飲んで暮らしているようだ。その愚者の仮面の下の冷ややかな目。あの男は孔明諸葛亮)に対してもそのような目を向けていたのか、それとも実の父親同様に敬愛していたのか?
 多分、孟徳(曹操)は泉下で我らを笑うだろう。「お前ら、もっとうまくやれないのか?」と。

二人もいらない ―蒯通―

 楽毅将軍、我が敬愛する稀代の名将。二人といない、いや、他に比肩する者など「いらない」「いてはならない」お方。
 そう、あの小僧、気に食わない。
 私はあの男に近づいた。
  淮陰 わいいん という片田舎でくすぶっていた、あの小賢しい若造だ。ちょっと兵法をかじっているくらいでいい気になっているチンケな小僧だ。
 あいつは漢王にとってはただの道具に過ぎない奴だ。そう、使い捨てのボロ布程度の輩に過ぎない。いにしえの呂尚が天帝の使う聖なる杯ならば、あれは安い木っ端を削って作った椀に過ぎない。底から水がこぼれそうな安い器だ。
 あんな奴が我が敬愛する楽将軍に比肩する栄誉を得るなど、許されてたまるものか? 私は何食わぬ顔であの男の耳に蜜のような毒を注ぐ。

「私は漢王には逆らえない」

 ふん、忠臣気取りか? お前は己を楽将軍に比肩する「君子」に仕立て上げるつもりか? ふざけるな。「楽毅」は二人もいらない。
 だからこそ、私はあの忌々しい男が道を誤るように仕向けた。私の「助言」それ自体が、あの男を葬るための くさび となるが、あの男にとどめを刺すのは私ではない。

 私は狂人を演じつつ、あの男の下を去った。

 あの男が粛清され、私は漢王、いや、漢の皇帝になった田舎親父の下に連れてこられた。あの淮陰の小僧め、死ぬ間際に「 蒯通 かい とう の計を用いなかったのが残念だ」と吐き捨てたらしいが、その言葉自体が私の計の締めくくりだ。
 楽毅将軍のような素晴らしいお方は二人もいらないのだから、あの男は万死に値する。「国士無双」などと虚名を得たあの男は、楽将軍の足元にも及ばないのだし、絵に描いた美女ほどの値打ちもない。
 私は出まかせで田舎親父を言いくるめる。私はあの小僧よりもはるかに「忠臣」を演じるのがうまいのだ。気前の良い男を演じたがる田舎親父は私を釈放し、今の私は自由の身だ。

 何? 「これから楽毅以上の名将が現れるだろう」? ふざけるな。あの田舎親父の国はしばらくは続くだろうよ。少なくとも、あの秦なんかよりは要領よく国を保ち続けるだろうさ。どうせ、この国が滅びる頃には私は土の中の骨だし、そんな先の事など知ったこっちゃない。ただ、楽毅将軍の名声が後世まで語り継がれれば良いのだ。

薤露行 ―田横―

「皇帝は、私の顔を見たいだけなのだ」
 彼は、自分の従者としてついて来た二人の食客に語った。
「平和のために」命を絶つ。なぜなら、自分たちの存在が戦乱の世を再び呼ぶ事になりかねないからだ。
「犠牲は私一人で十分。他の者たちを巻き添えにはしたくない」
「天下のために」、この世を捨てよう。彼の決意は堅かった。かつての大国の末裔、そして最後の「王」としての誇りだけではない。天下万民のため、私は死のう。
 彼は自らの首を切り落とし、従者たちに洛陽の街に届けさせた。

「この者は『賢』なり」
 皇帝は彼のために涙を流し、かつて彼が身をひそめていた島の者たちのもとに使者を送った。しかし、島の者たちは皇帝の降伏勧告を拒み、自ら死を選んだ。
「王」として葬られた主を看取った者たちもまた、主に殉じた。
 かの「国士無双」がファウスト博士ならば、それに対する彼はアーサー王だった。
 彼はさらに言い残した。

「もう『海の子』たちを陸に揚げてはならぬ」

 彼は「海の子」の血を濃く受け継ぐがゆえに、同世代の一般人たちより若々しかった。しかし、その優れた資質が凡庸な人間たちにねたまれていたのも事実だ。
 そして、「海の子」の誕生は祖先 田常 でん じょう の時代に比べてかなり減っていた。「陸の子」と「海の子」の混血はかなり進んでいたが、それでも「海の子」を警戒する者たちは少なからずいた。
 人生は朝露の如し。
 夏目漱石の小説『 薤露行 かいろこう 』のタイトルは彼を弔う挽歌に由来するが、果たして暗に漱石は「人間的に弱い」韓信ランスロットを同類視していたのだろうか?

 メフィストフェレスの魔の手が届かない英傑、その名は 田横 でん おう

銅の匂い ―范蠡―

 彼は、かつての主君 勾践 こうせん を思い出した。
 あの王は、ある意味類まれな「正直者」だったのかもしれない。

 他人に感謝するのが心底から大嫌いな男。人が他人に対して感謝の気持ちを持ち続けるのは、相手に対して頭を下げ続ける事に他ならない。そして、自らがそのような状態に置かれる事態を不快に感じる者は(実は)少なくない。それも、老若男女も身分の尊卑も問わず。何しろ、思いやりとは、いじめや差別と同じく、他人を支配する「武器」であり得る。だからこそ、恩を仇で返す人間はいるのだ。
 自尊心が強い者でも、相手に好意を抱いている限り、相手に対する感謝は不快ではない。しかし、相手に対する気持ちが冷めてしまえば、それらは憎しみに転じてしまう。衛の霊公が美少年|弥子瑕《び しか》に飽きて、それまでの弥子瑕の行為(好意)を恨むようになってしまったのがいい例だ。
 勾践は、自分の気持ちに正直になった。つまり、自分に「感謝の気持ち」を抱かせるという屈辱を与えた功臣を粛清した。

 彼は、勾践の魔の手からかろうじて逃げられた。一応は同僚に対して警告の手紙を送ったが、それが精いっぱいだった。仮に無理やりこの元同僚を国から連れ出そうとすれば、かえって共倒れになってしまっただろう。
「君臣なんて、ろくなもんじゃない」
 彼は、新たな仕事を始めた。これからは、湿った「情」ではなく乾いた「銭」が支配する世の中だ。
「銭」は冷淡だが、実に分かりやすい「物差し」だ。どんな血筋や身分以上に、人の存在価値を測るものだ。どれだけ「銭」というものを稼ぎ、使いこなす事が出来るか? これで人間たちの存在価値を決める時代がやってくる。

 かつての宿敵 伍子胥 ご ししょ は「古き秩序」に殉じたが、自分は「新しき秩序」の世界に乗り込もう。彼の第二の人生は、まだこれから始まったばかりだ。

たった一人の「極楽」 ―細川忠興―

 彼は延々と歩き続けていた。雲一つない青空の下、一面に広まる花畑の中を、彼は黙々とさまよっていた。
 ここは極楽なのだろうか? いや、とんでもない。

「何だ、地獄と変わらぬではないか?」

  たま のいない世界なんて、極楽でも何でもない。今頃珠は、 伴天連 バテレン どもの言う「 パライソ 天国 」にいるのだろうか?
 心地よいそよ風が、彼の着る九曜紋の 直垂 ひたたれ をなびかせる。安らかな春風。しかし、彼の心は冬と変わらない。
 途中で泉の水を両手ですくい、飲み干す。冷たく清らかな甘露。しかし、彼の心の渇きは癒やされない。
 無邪気に飛び回る蝶たちが憎らしい。自分は春の暖かさにそぐわぬ苦悩を抱いているというのに。彼は、ますますいらついた。

 たった一人しかいない天国と、みんなと一緒の地獄。秦の始皇帝ならば、多分前者を選ぶだろう。

「珠よ」

 彼はかつての最愛の妻の名を呼ぶ。お前がそばにいてほしい。しかし、異国の神が彼女を彼から奪い去った。いや、その前に彼女は彼を見放していた。
 彼が謀反人となった岳父を見捨て、その娘である珠を幽閉して以来、彼女の彼に対する愛情は死んだ。彼は彼女の侍女の鼻を削ぎ落とすなどの凶行で彼女を脅したが、彼女はますます遠ざかった。
 もう、愚かな「人間」の相手などしたくない。彼女は彼を見捨てた。

 今の自分の孤独は彼女の呪いなのだろうか? いや、「呪う価値すらない」と見放されたのだ。
 彼は花畑の中を歩き続ける。『荘子』の胡蝶の夢のような、極楽のような地獄の中を。

朔北に移り咲く名花 ―王昭君―

 あの頃、私は閉ざされた庭にいた。
 後宮。たった一人の男だけのために作られた、「生きた人形」たちの倉庫。私もその「人形」の一人だった。
 漢の宮女としての暮らしは退屈なものだった。他の女たちとの、名ばかりの友人関係。「巧言令色、 すく なし仁」という言葉を絵に描いたような、作り笑いの世界。
 とは言え、私には他の女たちと競う気力すらなかった。問題の「たった一人の男」は中華の皇帝ではあっても、ただそれだけの存在に過ぎない。私はただ、雑用の仕事に専念するだけだった。

 その皇帝が、私たち宮女の似顔絵を絵師に描かせた。どうやら、私たちの中から召し出す相手を決めるためだったらしい。女たちの中には、自分が皇帝の目に留まるために絵師に賄賂を贈る者たちもいたが、私はそんなバカバカしい事などしなかった。
 多分、あの絵師は私をケチだと思っただろうが、私の知った事ではない。私は根本的に他人に媚びるのが嫌いなのだから。なるほど、我ながら宮女という仕事には向いていない。

 匈奴の使者が漢の宮廷にやって来たのは、それからしばらく経ってからだった。匈奴は漢の女たちの中から 閼氏 あっし (王妃)を選びたいと申し出た。そこで選ばれたのが、何と私だった。
 あの絵師に賄賂を贈らなかったせいだと噂する者たちも少なからずいたが、一つの箱庭から別の箱庭に「人形」が一つ移されるだけの事。私には何も言えないし、言う気もなかった。
 ただ、匈奴の王室に嫁ぐというのは、いわば使者のようなものだ。ならばそれなりに重要な婚姻関係なのだし、おろそかには出来ないはずだ。それだけに、なぜ私が選ばれたのかは分からない。

 ある日、 単于 ぜんう 匈奴の王)が言った。
「そなたの宮女時代の働きぶりを見てほめた者がいたそうじゃな」
 私は驚いた。
「それに、そなたの美しさは上辺だけではない。強く、賢く、誇らしい」

 ここはカビ臭い「箱庭」ではない。心をのびのびと自由に出来る大草原だ。もう、余計な競争で心をすり減らす必要などない。私はこの地の空気で新たな生を得た。
 そう。今の私は、あの頃よりずっと幸せだ。

愚者の微笑み ―劉禅―

 あの男、この私を呉王夫差や燕の恵王と同類扱いしていたか。

「あの男は 簒奪 さんだつ の機会をうかがっていたのですよ。あの男が死去したのはつまり、全ての人にとって喜ぶべき事態であります」

 なるほど、我が父と比べて「凡庸」な私にすら「逆鱗」はあるのだ。我ながらお笑い草だ。「あの人」を侮辱した問題発言の男を一人処刑したくらいでは、私の「悪名」はなくならない。何しろ、今の私は「一番賢明な息子を死なせてまで生き延びた、愚かで弱い父親」なのだから。
 そう、この私の存在そのものが「お笑い草」、我が目の前にいる男が天下を取るための「養分」に過ぎない。いずれはもう一人の「自称皇帝」もこの男の前にひざまずくだろう。

「もし仮に諸葛亮が生きていたとしても、この男を補佐していつまでも安泰にしておくのは不可能だったさ。ましてや姜維ごときではなおさらだよ」

 それは他ならぬ私自身が分かっている。好きで皇帝になんかなったのではない。そもそも私は父の世代とは違って、「漢」に対する信仰なんてないのだから。
 少なくとも「簒奪者」のお前たちにあざけられても、私には痛くもかゆくもない。永遠に続く天下なんてどこにもないし、その天下に執着する意味など分からない…いや、「分かりたくない」。

 女が好きでもない男に媚びへつらって生きるように、私も愚者の微笑みを浮かべて生き延びよう。どうせ私は屈原のような清らかな人間ではないのだし、凡人は凡人らしく自らの「生」に執着するのがふさわしいのだから。